むかしむかし、上野の国、館林の近くに、喜助という名の、古道具を扱う貧乏な男がいました。
喜助は心根の優しい男でしたが、商売の腕はさっぱり。
毎日毎日、埃をかぶったガラクタを細々と売っては、その日暮らしの生活を送っていました。
ある日、喜助は、町で開かれていた古物市に出かけました。
何か良いものはないかと目を凝らしていましたが、めぼしいものは見つかりません。
がっかりしながら帰ろうとしたその時、市の片隅に、見慣れないものが置かれているのを見つけました。
それは、ずんぐりとした古い茶釜でした。
胴は煤けて黒く、注ぎ口にはわずかに錆が浮いていますが、形は堂々として、どこか威厳があります。
喜助がそっと手に取ってみると、冷たいはずの金属なのに、なぜかほんのり温かいのです。
「これは、なんとも不思議な茶釜だ…」
しかし、茶釜は茶釜。いくら古くても、誰も買ってくれそうにありません。
それでも、喜助はこの茶釜に強く惹かれました。
持っているわずかな銭をはたいて、喜助はこの茶釜を買い求めました。
その頃、館林の茂林寺(もりんじ)という寺にも、一つの騒動が起こっていました。
お茶好きの和尚さんが、新しく買った茶釜を火にかけて湯を沸かそうとしたところ、茶釜が突如、「あちちちち!熱い、熱い!」と、人の声で悲鳴をあげたのです。
和尚さんや小僧たちは飛び上がり、恐ろしさに震え上がりました。
「これは、ただの茶釜ではない!きっと化け物に違いない!」
和尚さんは気味悪がり、その茶釜をすぐに手放すことにしました。
さて、家に帰った喜助は、さっそく茶釜を丁寧に磨き上げました。
磨けば磨くほど、その黒い胴体は奥深い光沢を放ち、まるで生きているかのように見えます。
「いい茶釜だ。これで温かいお茶が飲めるぞ」
喜助はそう言って、買ったばかりの茶釜を、囲炉裏の傍にそっと置いて、疲れて深い眠りにつきました。
外では風が「ヒュー、ヒュー」と寂しく鳴っていました。
真夜中のことです。
喜助がぐっすりと眠っていると、枕元で、かすかに「モゾモゾ」という音がしました。
喜助は、夢かと思い、寝返りを打ちましたが、再び「モゾモゾ、カサカサ」と音が聞こえます。
気になってそっと目を開けた喜助は、驚きのあまり、息を呑みました。
囲炉裏の傍に置いてあったはずのあの茶釜が、なんと、四本の足を生やし、頭を生やし、短い尻尾まで生やしているではありませんか!
茶釜は、完全に一匹の古狸に姿を変えていました。
しかし、茶釜の頭を付けたままの姿は、なんとも間が抜けていて、恐ろしいというよりも、むしろ滑稽に見えます。
「ヒッ!」
喜助が思わず声を上げると、狸はハッと気づき、あわてて全身を茶釜の姿に戻しました。
その姿は、まるで慌てて殻に閉じこもった亀のようです。
喜助は心臓が口から飛び出しそうでしたが、腰を抜かしたまま、震える声で尋ねました。
「お、お前は…一体、何者なんだ?」
すると、茶釜から、小さな、情けない声が聞こえてきました。
「ひい、ご主人様。私は、狸でございます…」
狸は、喜助にすべてを打ち明けました。
自分は山に住む古狸だが、お寺で団子を盗もうとして、とっさに茶釜に化けたこと。
しかし、そのまま和尚さんに買われて火にかけられそうになり、あまりの熱さに正体を現してしまったこと。
そして、お寺を追い出された後、喜助に拾われ、優しく磨いてもらったこと。
「熱い思いをしましたが、あなた様に優しくしていただき、感謝しております。実は、このままでは、もう元の狸の姿には完全に戻れないのです…茶釜に化けすぎてしまいました」
喜助は、化け物だと知っても、この狸を憎む気にはなれませんでした。
むしろ、その間の抜けた姿と、情けない声に、ふっと笑みがこぼれました。
「そうか、そうか。お前さんは、熱い思いをしたんだね。よし、わしが、お前さんを助けてやろう」
喜助の優しい言葉を聞いた狸は、喜びました。
「ありがとうございます、ご主人様!そのご恩に報いるため、私はお役に立ちたい。私は、人を楽しませるのが得意なのです。どうか、私を連れて、見世物小屋を開いてくださいませんか?」
狸は、茶釜の姿のまま、頭を下げて喜助に懇願しました。
次の日から、喜助と狸の奇妙な共同生活、そして見世物興行が始まりました。
喜助は、家財道具を売り払って小さな見世物小屋を作り、看板を掲げました。
「福を分ける茶釜、ぶんぶくちゃがま一座」
興行の日。幕が上がると、喜助が太鼓を叩き、笛を吹き始めます。
そして、囲炉裏の上に置かれた茶釜に、再び手足が生え、尻尾が生えます。
「ぶんぶく、ぶんぶく」と喜助が声をかけると、茶釜は、まるで踊り子のように、軽やかなステップを踏み始めました。
茶釜は、くるくる回ったり、お尻を振って愛嬌を振りまいたり、ときには長い綱を張って、綱渡りまで披露しました。
観客は、その不思議で愉快な芸に大喜びです。
特に、茶釜が「ぶんぶく、ぶんぶく」と音を立てながら湯を沸かし、その湯で喜助がお茶を点てて振る舞うと、人々は皆、「福を分けてもらった」と、大いに喜びました。
一座は、たちまち大評判となりました。噂は都にまで広がり、見世物小屋には連日、人が押し寄せました。
喜助は、瞬く間に大金持ちになりました。
それまでの貧しい暮らしからは考えられないほどの、豪華な家に住み、美味しいものを食べ、高価な着物を着るようになりました。
喜助の周りの人々は、彼を見て、ささやきました。
「喜助は、欲を出して、あの茶釜をさらに働かせるのではないか?」
「大金持ちになれば、きっと、あの狸を粗末に扱うようになるだろう」
しかし、喜助の心は、少しも変わりませんでした。
夜、興行が終わると、喜助は必ず、煤けた茶釜を抱き上げ、丁寧に磨きました。
そして、温かい布団を用意して、「今日もお疲れ様だったね、ぶんぶく」と優しく声をかけました。
喜助にとって、茶釜は単なる金儲けの道具ではありませんでした。
それは、苦楽を共にした、かけがえのない友であり、福を運んできてくれた恩人だったのです。
喜助は、稼いだお金の半分は、貧しい人々に分け与えたり、お寺に寄進したりしました。
この、欲張らない心が、さらに多くの福を呼び、一座の繁盛は続きました。
それから、三年が経ちました。
ぶんぶくちゃがま一座は、国中で知らぬ者のない、大一座となりました。
しかし、その頃から、茶釜の芸に、少しずつ陰りが見え始めました。綱渡りの足取りがふらついたり、踊りの回転が鈍くなったりすることが増えたのです。
ある日の夜のこと。
興行が終わり、喜助が茶釜を抱いていつものように話しかけると、茶釜は、熱い息を漏らしました。
「ご主人様…私は、もう体が持ちません…」 「ぶんぶく、どうしたんだい?どこか具合でも悪いのか?」
「実は、茶釜に化け続けるというのは、非常に体力を消耗するのです。もう、狸の力も尽きてしまいました。あなた様との楽しい時間は、私の生涯で最も幸せな日々でした」
喜助は、茶釜が自分のために、どれほど無理をしていたのかを知り、涙が止まりませんでした。
「もう、いいんだ。ありがとう、ぶんぶく。ゆっくり休んでおくれ」
茶釜は、静かに言いました。
「ご主人様。これまでにいただいた福は、一生尽きることのない宝です。どうか、これ以上、欲張ることなく、人々にも福を分けて、お幸せにお暮らしください」
そして、茶釜は「フウ…」と、長いため息をつきました。
その時、茶釜から生えていた頭も足も尻尾も、すべてが引っ込み、元の、ただの古びた茶釜の姿に戻ってしまいました。
喜助は、涙を拭いながら、その茶釜を抱き上げました。
もう二度と、茶釜が動くことも、喋ることもありませんでした。
喜助は、茶釜との約束通り、それ以上の興行をすることはやめました。
これまでに稼いだお金を大切にし、変わらず人々に施しを与えながら、穏やかに暮らしました。
そして喜助は、あの茶釜を、かつて狸が熱い思いをしたという茂林寺の和尚さんに、丁寧にお願いして奉納してもらいました。
「これは、私に福を与えてくれた、大切な友です。どうか、寺の宝として、末永く供養してやってください」
茂林寺の和尚さんは、喜助が欲張らず、その富を人々に分けた心意気に感銘を受けました。和尚さんは、この茶釜を「福を分ける茶釜(分福茶釜)」と名付け、大切に祀りました。
その茶釜は、今でも茂林寺に、人々に福を分け与える宝として、大切に伝えられているということです。
