むかしむかし、雪深い山のふもとに、正直で心優しいおじいさんとおばあさんが、慎ましく暮らしていました。
二人は年老いていましたが、おじいさんは毎日山へ柴刈りに、おばあさんは家で機を織り、助け合って貧しいながらも平和な日々を送っていました。
ある、ことさら冷え込んだ冬の日でした。
雪がシンシンと降り積もり、あたり一面を白く覆い尽くす中、おじいさんはいつものように、重い薪を背負って山を下りていました。
その時です。道の脇の雪の中に、おじいさんは一つの影を見つけました。
「おや、あれは…」
それは、一羽の大きな鶴でした。
すらりとした首を持ち、白い羽と赤い頭が雪景色に映える、美しい丹頂鶴です。
しかし、その鶴は、見るも無残なことに、猟師が仕掛けた鋼の罠に、左の足をしっかりと捕らえられていました。
鶴は、自由になろうともがくたびに、罠の金具が鋭く食い込み、痛みに苦しげに鳴いています。
「かわいそうに、こんな冷たい中で…」
おじいさんは、少しもためらいませんでした。
罠のそばにそっと近づき、「心配ないよ。私が助けてあげよう」と、優しい声で話しかけます。鶴は、身じろぎ一つせず、ただおじいさんを見つめていました。
おじいさんは、冷え切った手に息を吹きかけ、硬く閉ざされた罠の金具を、渾身の力で少しずつ広げました。
指先はかじかみ、汗と雪で滑ります。どれほどの時間が経ったでしょうか。ついに、「カチャン」という音とともに、罠の口が開きました。
鶴は、罠から足を抜くと、傷ついた足を引きずりながらも、おじいさんに向かって深々と頭を下げました。
それは、まるで感謝の意を伝えているかのようでした。
そして、大きく翼を広げると、「クゥー」と一声、別れを告げるように鳴き、深雪を蹴って、空高く舞い上がっていきました。
やがて、白い雪と空の間に、その姿は消えてしまいました。
「よかった、助けてあげられて…」
おじいさんは、満足げに微笑むと、冷たくなった薪を再び背負い直し、家路を急ぎました。
自分がした良い行いに、見返りを求める心は微塵もありませんでした。
おばあさんに鶴の話を聞かせるのが、今の楽しみでした。
その日の夜。外は相変わらず激しい雪が降り続いていました。
おじいさんとおばあさんは、囲炉裏端で、夕食の粥をすすりながら、先ほどの鶴の話をしていました。
「あんたの優しい心が、鶴を助けたんだねえ」とおばあさん。
「そうさ。生きているものは皆、助け合って生きるものだよ」とおじいさん。
その時、家の戸をたたく音がしました。 「トントン…」
こんな雪の夜に、誰だろうか。
不思議に思いながらおじいさんが戸を開けると、そこに立っていたのは、雪をかぶった美しい娘でした。
娘は、青い着物に白い襟元が雪のように美しく、年の頃は十七、八でしょうか。
「申し訳ございません。私は旅の者でございますが、この雪で道に迷い、進むことも戻ることもできなくなってしまいました。どうか、一晩の宿を貸していただけないでしょうか」
娘は、顔色を悪くしながら、深々と頭を下げました。
「それはお気の毒に!さあさあ、こんな雪の中に立っていてはいけない。おあがり、おあがり」
おじいさんとおばあさんは、娘を囲炉裏端に招き入れ、温かいお粥と火で精一杯もてなしました。
娘は、二人に対して、まるで自分の親のように甲斐甲斐しく仕え、世話を焼きました。
雪は、次の日になっても、その次の日になっても、止む気配がありません。
娘は、「雪が止むまで」と、老夫婦の家に滞在することになりました。
娘の美しい容姿と、行き届いた心遣いに、老夫婦はまるで本当の娘ができたかのように喜びました。
二人は娘を「つう」と名付け、愛情を注ぎました。
数日後。つうは、おじいさんとおばあさんに、真剣な顔でお願いをしました。
「おじいさま、おばあさま。私は、このご恩に報いたいのです。どうか私に、機(はた)を織らせてください」
「機を?お前さんは、機織りができるのかい?」おばあさんが尋ねます。
「はい。そして、この織物を売れば、きっとお二人の暮らしが楽になります」
しかし、つうは、一つだけ条件を出しました。
「ただし、お願いがございます。私が機を織っている間、決して、決して、部屋の中を覗かないでください。どんなことがあっても、決してです。私の織り方は、人に見られてはならないものなのです。」
おじいさんとおばあさんは、つうの真剣な眼差しに、強くうなずきました。
「わかったよ、つう。わしらは約束を破るようなことはしない。安心して、織りなさい。」
つうは、その日から、家の奥にある物置部屋にこもり、機を織り始めました。
「カタッ、タン、カタッ、タン…」
機の音が、静かな家の中に響き渡ります。
数日後、つうが部屋から出てきました。
手には、見たこともないほどに美しい布が抱えられていました。
その布は、雪のような白さの中に、朝焼けのような柔らかな色が織り込まれ、光を受けて、きらきらと輝いていました。これほど精妙で、美しい布を、老夫婦はかつて見たことがありません。
「まあ!これはなんて素晴らしい布なんだろう!」おばあさんは感激し、おじいさんは驚きのあまり、言葉を失いました。
おじいさんがその布を町で売ると、噂通りの高値で飛ぶように売れました。老夫婦の暮らしは、それまでの貧しさから一変し、暖かい着物と、豊かな食べ物に恵まれるようになりました。
つうは、再び部屋にこもり、次の布を織り始めました。 「カタッ、タン、カタッ、タン…」
しかし、この二度目の機織りから、おじいさんとおばあさんは、ある変化に気づき始めます。
それは、つうが日に日に痩せていくことです。
最初はほんの少しだったのが、顔色は青ざめ、頬はこけ、まるで雪が解けるように体が細くなっていきます。
そして、部屋からは、機を織る音に混じって、時折、苦しそうな「クゥー…」という、か細い、そして聞き覚えのあるような鳴き声が聞こえるようになりました。
「つうは、大丈夫だろうか?病気なのではないか?」おばあさんが心配で夜も眠れません。 「そうは言っても、つうは『決して覗かないで』と言ったのだ…」おじいさんは、葛藤します。
しかし、町の噂が、老夫婦の心を揺さぶりました。町の人々は、あの美しい布を、もっともっと欲しがりました。 「おじいさん、あの素晴らしい布を、もう一度織ってもらいなさい。あの布さえあれば、私たちはもっと豊かな暮らしができる!」
老夫婦の心に、いつしか、優しい思いやりの心よりも、「もっと布が欲しい」「つうはどうやってこの布を織っているのだろう」という、好奇心と欲が、芽生え始めていました。
ある日、つうが部屋にこもって何日も経った真夜中のことです。 「…もう、我慢できない」
おばあさんが、ついにそう口にしました。 「そうじゃな。つうが病気になってはいけない。覗くだけ、少しだけだ」
老夫婦は、つうとの「決して覗かない」という、たった一つの、最も大切な約束を破り、忍び足で物置部屋の引き戸に近づきました。そして、静かに、雪の隙間ほどの小さな穴から、部屋の中を覗き込んだのです。
部屋の中の光景に、老夫婦は「ハッ!」と息を呑みました。
そこには、美しい娘の姿はありませんでした。 そこにいたのは、一羽の大きな鶴でした。
その鶴は、なんと、自らの胸の羽根を、長いくちばしで一本、また一本と引き抜いているのです。白い羽根が、雪のように舞い散ります。鶴は、傷つき、全身の羽根のほとんどが抜かれて、見るも無残な、痛々しい姿になっていました。
鶴は、その抜いたばかりの、血の滲んだ羽根を、機にかけて織り込んでいます。あの光り輝く、美しい布は、鶴が、自らの体と命を削りながら織り上げていた、恩返しの結晶だったのです。
「ああ、つうの正体は、あの時助けた鶴だったのか!」 「そして、私たちは…なんてひどいことを…」
老夫婦が、覗き見の罪悪感と、鶴の献身的な姿に打ちひしがれていると、鶴は、ゆっくりと機から顔を上げました。老夫婦の視線に気づいたのです。
鶴は、かすれた、悲しげな声で言いました。 (…いえ、その声は、もう、美しい娘の声ではありませんでした。)
「おじいさま、おばあさま。私は、あの時、罠にかかっていた鶴でございます。命を助けていただいたご恩を返すため、人の姿となってまいりました。私の体から織り出す布で、お二人の暮らしを楽にすることが、私の心からの願いでした。」
鶴は、震える声で続けます。 「私は、人に見られてはならない、と申し上げました。私の本当の姿を見られてしまったからには、もう、ここにはいることができません…」
鶴の目からは、大粒の涙が、ポロポロとこぼれ落ちました。それは、約束を破られた悲しみと、別れの辛さの涙でした。
「待っておくれ、つう!私たちが間違っていた!許しておくれ…!」 おじいさんとおばあさんは、戸を開け放ち、泣きながら鶴にすがりつこうとしました。
しかし、もう遅いのです。
鶴は、老夫婦の腕をすり抜け、最後の力を振り絞って、広間の真ん中へとよろよろと歩み出ました。そして、ほとんど羽を失った痛ましい姿のまま、大きく翼を広げました。
「おじいさま、おばあさま。どうか、お元気で…」
鶴は、最後に一度だけ、老夫婦に優しく、そして深い悲しみを込めた眼差しを送ると、力強く雪の夜空へと飛び立ちました。
「クゥー…」
その鳴き声は、いつまでもいつまでも、雪深い夜の空に響き渡り、やがて、遠い山の向こうへと消えていきました。
おじいさんとおばあさんは、雪の上に立ち尽くし、ただただ泣き続けました。
目の前には、つうが去ったあとの、あの物置部屋の戸だけが、寂しそうに残されていました。
